日本国憲法第25条「生存権の保障」は、社会福祉を学ぶとき初めに教わる内容の一つです。
社会の中でマイノリティ(少数者)の立場に置かれ、
その社会で当たり前とされる生活が送れない時、
国の責任で「最低限度の生活」を保障することを謳っています。
この「健康で文化的な最低限度の生活」は、理念のように、どんな人にも保障されている訳ではありません。
捕捉率(ほそくりつ)という言葉があります。
ある制度が対象とする人のなかで、実際にその制度を利用する人の割合のことです。
生活保護の受給要件を満たす人のなかで、日本の補足率は20パーセント未満という推計があります。
公的な制度だけれども、利用は抑制したい。
こんな社会的な構造が成り立っているとしたら、弱い立場にしわ寄せがいく仕組みに疑問を持たざるを得ません。
近年の議論では、最後のセーフティネットと言われる生活保護を引き下げる動きがあります。
また、生活保護の実態を歪めたとらえ方もあります。
なぜ、こういったことが起こるのでしょう。
セーフティネットを崩していけば、結局のところ誰も幸せになれないと思うのです。
実際に自分が直面するまで、自分が弱い立場になるなんて思いもしなかった。
きっと事態に直面して初めて分かることが、私たちには沢山あるのでしょう。
仮にいま困っていなくても、生活に困っている人たちと「私」がつながっている感覚があるか、
そしてどう行動に結びつけていくのか。
私たちソーシャルワーカーには“ソーシャル”な視点で仕事をしているか、問われていると感じます。